新国立劇場バックステージツアー

一度行ってみたかった新国立劇場のバックステージツアー。月に一回、定員15人×3回しかないので毎回人気らしい。今回は野田「マクベス」の舞台セットが見られるとあって気合い入れてチケット取りました。
ツアーはずいぶんと裏方歴の長そうな男性の方の案内で、舞台→オケピ→楽屋→舞台裏→奈落、といった感じで進む。細かい説明にいちいち感心。オケピは壁の高さや床の高さが作品によって変えられるんですよー、とか、指揮者をモニターするカメラやピンスポや譜面代のライトは、万が一のためにそれぞれ2つずつあるんですよー、とか、オケピの壁が黒いのに指揮者の背後だけ白いのは、指揮者は普通黒い服を着てますから動きがよくみえるようにするためですよー、とか。細かいことだけど面白い。そして新国の舞台装置の規模のデカさにびっくり。まぁ頭では舞台の両サイドと奥と奈落に舞台と同じだけのスペースがあって、と理解していても、実際にそれを目にすると納得度が違う。ただただ、感心のため息。
四季劇場春の舞台裏も見たときがあってその時は「舞台も舞台裏も意外に狭いんだなー」と思ったのだけど、今回は逆。「表から見えてるよりも予想以上にデカいんだなー」といった印象。なるほど、あのピーターパンやアイーダのセットがどこからでてきたのかという謎が解けました。
ちなみに「アイーダ」の時の馬、あれは新国にお泊まりしていたわけではなく、毎回御殿場から通っていたんだそうだ。驚き。

大人計画〈日本総合悲劇協会vol.4〉「ドライブインカリフォルニア」

初演と全体的に印象の変化はナシ。役者さんが変わることでもちろん変化はあったけど、話の大枠や感想はほぼ同じ。初演の時は〈日本総合悲劇協会〉つーからには、いつもの松尾さんよりもさらにドロドロの悲劇になるんじゃないかと期待していたところが大きかったので、「フツーにエエ話」にちょっと肩すかしくらった気がしていたのだけど。今回は「そういう話」と解っていたので別に失望感もなく、「ああ、イイ話だねー」と普通に面白かった。

あらすじについては96年に書いた時のレポートをそのまま引用。ややうろ覚えのところもあるので間違っていたらご容赦を。役名は(初演→再演)です。↓

竹林に囲まれた、田舎のドライブイン。店を営むのは、我孫子アキオ(徳井優小日向文世)とマリエ(秋山菜津子)の兄妹。そして、足の悪い異母弟のケイスケ(手塚とおる田口トモロヲ)。駆け落ちして都会から逃げてきた、クリコ(片桐はいり)と山口(武沢物語→松尾スズキ)が店で言い合いしているところに、クリコの夫・若松(浅野和之仲村トオル)が彼女を連れ戻しに現れる。芸能プロダクションの若松は、マリエの歌を聞いて、彼女をデビューさせようと東京へ連れていく。マリエは東京で夫となる男と出会い、息子のユキヲ田村たがめ)を生む。そして、14年の歳月が流れる。
 マリエの夫は不動産業で、一度は儲かったもののバブル崩壊で首をつる。ユキヲは、その時以来人の話し声が聞こえなくなる。マリエとユキヲは、田舎へ帰るが、再び歌わせようとする若松とクリコもついてくる。一方、アキオはマリア(猫背椿)という女とつき合っていたが、マリエが帰ってくるのを知って彼女と別れようと思っていた。また、店にはアルバイトのエミコ(中村栄美子→小池栄子)がいたが、彼女は実は子持ちで、元亭主の大辻(松尾スズキ荒川良々)は赤ん坊を連れて店に現れる。店の床下には、死んだはずのアキオたちの父、盲目のショウゾウ(正名僕蔵村杉蝉之介)が隠れ住んでいた。彼の声だけは、ユキヲに聞こえるのだった。
 話はケイスケが店にやってきた頃にさかのぼる。我孫子家は代々、マレゴト師という村の因習に捕らわれていた。ショウゾウはそのせいで死んだことになり、床下に隠れる羽目となった。その事件があった夜、ケイスケはマリエを抱こうとするところをアキオに見つかり、足を猟銃で撃たれたのだった。そしてケイスケは店に居着くことになる。遠距離恋愛の女にかけていると偽りながら、知らない人にイタズラ電話をかける代金をアキオに借金し、その借金がお互いを縛りあっていた。
そして、ある日突然復讐に訪れる山口、死ぬ気はないのに誤って首を吊ってしまったユキヲ。母も夫も息子も同じように首を吊って失ったことに絶望するマリエに、その夜、奇跡が訪れて……

こうして比べてみると、ああそういえばあのときはあの人がやっていたなぁと懐かしい気持ちに。今回は仲村トオル氏が意外にインパクトあって面白かった。イイ意味で違和感のある雰囲気がうまく使われていたと思う。もしかしたら今回、一番笑いをとってたかも。

http://www9.big.or.jp/~otona/page003.html
作・演出/松尾スズキ
出演/小日向文世 秋山菜津子 片桐はいり 小池栄子 猫背椿 村杉蝉之介 田村たがめ 荒川良々 大塚辰哉 松尾スズキ 田口トモロヲ 仲村トオル

シベリア少女鉄道「天までとどけ」

毎度バカバカしい大ネタでおなじみのシベ少。うーん、今回はいまいちインパクト薄いか。
ストーリーは体操競技アテネ五輪を狙う若者達の青春群像といった感じ。事故にあい体操を辞め、カメラマンに転向した女性も物語に絡んでくる。セリフがどうも抽象的でダブルミーニングっぽい感じなので、「これはまたセリフが後の展開にかかわってくる系の内容かなー」と思いながら見ていると、いよいよ競技開始。ダンボールに人の姿を貼り付けて、投げたり回したりしながら体操競技を表現。えー、こんなオチかよー、といささかがっかりしたところで、本ネタ突入。このダンボールがテトリスのブロックになってステージに積み重ねられていく……という内容。「天までとどけとかいうな!」ってそういう意味か。しかもブロックがそろったところでちゃんとそれが地下に落ちるシステムになってたから笑った。まぁまぁバカバカしさには笑ったけど。オチが二段階だったのもちょっと拍子抜けの要因だったかも。いきなり二段目のオチに突入してくれたほうが面白かったような気がする……。ま、次に期待しよう。

http://www.siberia.jp/nextstage10.html
作・演出/土屋亮一
出演/藤原幹雄 秋澤弥里 吉田友則 水澤瑞恵 前畑陽平 小野美樹 篠塚茜 土屋亮一 ほか

劇団☆新感線「髑髏城の七人」

新国立劇場楽日。初日よりはずいぶん流れもよくなったかな。古田さんのセリフ、相変わらず聞き取りづらいところもあるけど、初日ほどではなかった。一安心。観ていてふと思ったのだけど、水野美紀ちゃんの蘭兵衛は別に「男の振りをしている女」でなく、単純に「女と見まごうばかりの美しい男」で別に構わないんじゃないかなーとちょっと思った。何せ、わざわざ男装して無界の主人になってるあたりの説明が劇中にほとんどないだけに、なんでわざわざ……というのが解らない(もしかして私が見落としただけ?)。まぁ、信長への想いを断ち切るために女を捨てた、というのは簡単だけれども。とするとなおさら「なんで女のくせに武士として信長に仕えてんだ」というところから説明が必要になってくるのでは……。あまり女の情念的なものが美紀ちゃんから感じられないだけに、男という設定にしておいたほうがストイックな色気が出ていいんじゃないかなーと思ったりした。
ま、ツアー公演でまた演出など変わってくるところもあるだろうし、あとは東京厚生年金会館の楽日に期待。

宝塚月組東京特別公演「愛しき人よ ーイトシキヒトヨー」

オープニングでいきなり「着物の日本人とチャイナドレスの中国人とどうみてもヨーロッパ系の人々」が混在して歌い踊りはじめるので、ストーリーを前もって読んでおかないと「ここはいつ! 今はどこ!」な気分になってしまう。まぁ、ヅカ作品にはよくあることだけど。この作品は日本・満州・パリをいったりきたりしつつナチスが絡んできたりするので(しかも回想シーンかと思ったらさらにそれより前にさかのぼったりするから気が抜けない)今が何年の時空でどこにいるのかちゃんと把握しておかないと話がわからなくなる。舞台上にスライドで「1937年 パリ」とか出てくるのを見落とさないようにしないと。
ま、そこだけポイントを押さえておけばまぁまぁ面白い。ちょっと話が簡単に世界各国飛びすぎのような気はするけれど、それなりにドラマティック。主人公の和実&ジョセフィーヌと、ケビンとその恋人のふたつのカップルを軸に物語が展開。うーん、主演の霧矢さん、病気の後遺症だろうか、ちょっとお顔がむくんでいる感じ。多分薬の副作用とかだろうと思うのだけど。舞台復帰は嬉しいけれど……ちょっと痛々しい気も。でもまぁ、元気そうで何より。ケビン役の月船さららさん、かっこいー。ちょっと気になる役者さん。しかしなんといっても、和実を手に入れるために、その元婚約者までをたらしこむ川島芳子役の紫城るいさんがイイ感じで気持ち悪い。高い声で一人称が「僕」で、女だろうが男だろうが欲しいモノは何でも構わず落として足下に跪かせようとするその潔さよ。ヅカファン的にこういう役柄って受け入れられるのかどうかよく解らないけれど、こういう境界線上の設定の人は舞台上ではとっても魅力的。私の中では主人公の和実よりも川島芳子に拍手喝采でした。
しかし、「第二次世界大戦前夜のクラブって……キャバレーかよ!」とか、「川島芳子って……李香蘭かよ!」とか、しまいにゃあ何の前触れもなく主要登場人物が「ダンサーと歌い手」に分裂して「ふたり一役」で歌い踊り始めるので、「ク・ナウカかよ!」とか思ってしまう。そういう意味ではツッコミどころ満載。まぁパクリというほどあからさまじゃないし単にオマージュだろうと思って観ていると、フィナーレで「ボブ・フォッシーでおなじみの山高帽」を手にして「夜来香」のアレンジした曲を歌い踊り始めるので、「なんだよ確信犯かよ!」とか思って笑い出してしまった。

http://kageki.hankyu.co.jp/revue/04/03moon_2/index.html
作・演出:斎藤吉正
主演:霧矢大夢
第1次世界大戦後の不穏な世界情勢のパリを舞台に、フランス駐在武官の日本人・遠藤和実(霧矢大夢)と、フランス貴族の令嬢・ジョセフィーヌ(城咲あい)との出会いから別れまでを、川島芳子(紫城るい)など当時の歴史上の人物やトピックスを絡めながらドラマティックに描く。
第二次世界大戦を挿む激動の時代。国籍の違う男と女が花の都パリ、そして魔都上海を舞台に“出会い”、“別れ”、そして終戦後の再会までをドラマティックに綴る壮大なロマンス歌劇。様々な人間模様に翻弄されながらも互いを信じ続けた一人の男と一人の女が繰り広げる愛の旋律・・・。
世界情勢が再び不穏な空気を帯び始めた1930年代半ば。フランスはパリにその男はいた。遠藤和実。大日本帝国陸軍中尉。パリの日本大使館付きの武官である彼の任務は、来るべき第二次世界大戦における情報工作活動であった。和実は、日本とのパートナーシップを築かんとするドイツのナチス青年幹部ケビン・ヒルデブラント(月船さらら)と共に日々対外工作を行っていた。そんな殺伐とした日常の中で和実はハーグリーブ男爵を誤って殺害してしまう。
かつて和実には東京にフィアンセの一乃宮若菜(夏河ゆら)がいたが、彼女は結婚直前に和実を捨て、彼の親友の貿易商・関根潤一の許へ嫁ぐ。傷心を抱いて渡航したパリでも和実の憂鬱は続くのだった。そんな時、和実はセーヌのほとりで一人の美しい女性に出会うのであった。彼女の名前はジョセフィーヌ。和実が手にかけたハーグリーブ男爵の一人娘であった。やがて惹かれ合う二人。だが、その“愛しき人”の父を手にかけた事実に苦しむ和実。そんな二人を時代の波がのみこんでいく。やがて舞台は満州へ。そこで彼を待ちわびるのは、東洋のマタハリ川島芳子であった・・・。第1次世界大戦後の不穏な世界情勢のパリを舞台に、フランス駐在武官の日本人・遠藤和実と、フランス貴族の令嬢・ジョセフィーヌとの出会いから別れまでを、川島芳子など当時の歴史上の人物やトピックスを絡めながらドラマティックに描く。
第二次世界大戦を挿む激動の時代。国籍の違う男と女が花の都パリ、そして魔都上海を舞台に“出会い”、“別れ”、そして終戦後の再会までをドラマティックに綴る壮大なロマンス歌劇。様々な人間模様に翻弄されながらも互いを信じ続けた一人の男と一人の女が繰り広げる愛の旋律・・・。
世界情勢が再び不穏な空気を帯び始めた1930年代半ば。フランスはパリにその男はいた。遠藤和実。大日本帝国陸軍中尉。パリの日本大使館付きの武官である彼の任務は、来るべき第二次世界大戦における情報工作活動であった。和実は、日本とのパートナーシップを築かんとするドイツのナチス青年幹部ケビン・ヒルデブラントと共に日々対外工作を行っていた。そんな殺伐とした日常の中で和実はハーグリーブ男爵を誤って殺害してしまう。
かつて和実には東京にフィアンセの一乃宮若菜がいたが、彼女は結婚直前に和実を捨て、彼の親友の貿易商・関根潤一の許へ嫁ぐ。傷心を抱いて渡航したパリでも和実の憂鬱は続くのだった。そんな時、和実はセーヌのほとりで一人の美しい女性に出会うのであった。彼女の名前はジョセフィーヌ。和実が手にかけたハーグリーブ男爵の一人娘であった。やがて惹かれ合う二人。だが、その“愛しき人”の父を手にかけた事実に苦しむ和実。そんな二人を時代の波がのみこんでいく。やがて舞台は満州へ。そこで彼を待ちわびるのは、東洋のマタハリ川島芳子であった・・・。

「キャンディード」

うーん、初演は結構好きな作品だったんだけどなぁ。キャスト変更が全体的にアダになってる気がする。中川くんは悪くはないんだけど、なんか主演としてはちょっと埋もれてる感じが否めない。「モーツァルト!」で見せたオーラはちょっと今回見あたらなかった。パングロス先生の岡さんもなんかいまひとつなぁ、黒田さんの時のほうがもっとコミカルに演じていた気がするけど、あんまり面白みのない役になってた。真面目な役作りにしちゃったのかなぁ。初演の岡さんがものすごいインパクトだったマキシミリアン役の新納さん、そりゃ岡さんと比べるのは可哀想とはいえ、地味すぎる。マキシミリアン登場シーンって前は爆笑ポイントだった気がするんだけどなぁ。ヴォルテール役も岡田真澄さんのほうが俄然存在感あったし。辰巳琢郎さんも別に悪くないんだけど、いまひとつ地味だし。なんというかなぁ、全体的にとにかく「地味!」になってしまった気がする。衣装も前のほうがポップだった気がするし。美術や演出はさほど変わってない気がしたけれど。まぁ、気持ちの問題もあるのかも。初演の時はとにかくキャストが次々降板したりで「本当に幕が開くのか!?」的なスリリングな状態の初日を観たから、演じてる役者たちの気合いも違ったのかもしれないし。まぁ生オケでバーンスタインの音楽聞けたしコーラスのアンサンブルもかなり歌える人をそろえたようで聴き応えはあるのだけど、初演と比べちゃうとかなり物足りない気がした。今回は「長いなー、眠いなー」という印象だった……。

http://www.parco-city.co.jp/play/candide2004/

Story
青年キャンディードは師であるパングロスから教えを受けている。「この世の出来事はすべて神の意志によるものだ。だから何事も、自然といちばんよい方向へと導かれてゆくものだ」という、楽天主義の教えである。キャンディードの恋人・クネゴンデが何者かによって連れ去られ、取り返そうと旅に出た。リスボン地震に遭い、スペインの宗教裁判では死刑の判決を受ける。さらに、エル・ドラドの伝説の黄金をさがすためにカカンボとともに南米へ出かけて苦難を味わう。そういった数々の冒険を経て、キャンディードは楽天主義の誤りに気がつく。そして、人生とは思ったより短いものだから、幸せも不幸せも同じように受容れ、現実の人生を、素直に、精一杯生きることが何より大事だと悟る。
作品解説
このようにストーリーは一見ばかばかしいものです。しかし、宗教という真面目な事柄を、笑い飛ばそうという喜劇性の中に、面白さと風刺の要素が込められたとても手ごわい原作なだけに、幾人もの作家が手を入れても台本は中々バーンスタインの満足いくものにはなりませんでした。そもそも作者ヴォルテールはルソーとともにフランス革命を推進してきた啓蒙思想家で、主人公・キャンディードの運命に身を任せて当時(1756年ごろ)の政治・社会・思想を批判しているのです。作品を貫く気品と機智と明晰さはフランス文学のよき伝統、とまで言われる作品で、一筋縄ではいかないものを書き上げているので、舞台化するための戯曲づくりが難航するのも無理はありませんでした。それにしても、最初の仕上がり時点(1956年)から、バーンスタインの音楽はほぼ完成しており、この点では見事というほかありません。ロック歌手出身でミュージカルに活動の場を広げる歌手によるキャンディードであったり、超絶技巧のオペラアリアを披露するクネゴンデであったり、クラシック、ジャズ、民族音楽の越境そのものをひとつの様式にした音楽づくりであるなど、領域を超えてパフォーマーを集めるクオリティの高い作品は他に類をみないものです。こういったなりたちを持った結果、エンターテインメント性の可能性が無限に広がる作品になっているのです。

作者、ヴォルテールとは18世紀のフランスを代表する哲学者、劇作家。著作は詩、劇、小説、歴史、論説、雑纂書簡に及ぶ多種多様な活動で、驚くべき大量のものでした。ルソーとともに活躍し、後に訪れるフランス革命の第一歩を開いていった重要人物。ルイ14世の死後、フランスは狂気の時代に突入し、ルイ15世、16世治世の中を彼は生きぬきました。

「キャンディード」は、知的ヨーロッパの大御所と言われ晩年こそパリの人気者として脚光を浴びていましたが、それまでは自由思想が国政とぶつかり、批判や処罰の対象とさえなっていました。当時の支配階級に受け入れられていたライプニッツのいう人間の楽天主義説を、こっぴどくやっつけるために書いた風刺小説です。「この最善の世界においては、すべては最善に仕組まれている」というバカバカしく、不合理なストア的現実肯定の命題がヴォルテールにとっては我慢が出来なかったのです。戦争で人が死ぬのも、絶対主義や封建社会も天がよし、としているのだから、受容すべき最善の出来事だ、ということの考えを見直させたい、そのための方法として、小説に天真爛漫なキャンディードという青年を誕生させ、旅をさせたのでした。その中で楽天主義を唱えるパングロスなるものが登場し、キャンディードに楽天的な教説を行ってゆくのですが、いたるところで人間の醜汚と不幸とを見てまわったキャンディードはパングロスの教えに疑問を持ち、次第に正常な目を持つことになってゆきます。パングロスと対照してマーティンという人物も登場させ、こちらは厭世主義を唱えながらキャンディードにかかわらせてゆきます。しかし、そのいずれにもくみしなくなるキャンディードを最後にはつくり、あらゆる実証の後の結論として「何はともあれ、わたしたちの畑を耕やさねばなりません」と言わしめる、人間の基本的なすがたを伝えて幕となるのです。

市川海老蔵襲名披露 五月大歌舞伎

最初の四季三葉草は遅刻して、二本目の「暫」から観劇。暫観るのは二回目かな? いろいろツッコミどころの多いビジュアル重視の作品。雀右衛門さん休演でちょっと残念だけど、なかなか豪華な顔ぶれで単純に楽しい。「紅葉狩」うっかり寝そうになるので、なんとなく亀蔵さん演じるぶさいくな腰元(←いやそういうメイクなんですよ)に注目。気持ち悪くて可愛い。「伊勢音頭恋寝刃」は初見かな。ところどころ眠かった。うーん、昼の部で見応えあるのは「暫」くらいかなぁ、ご贔屓があんまり出ていないせいもあるけど、他のはちょっと眠かった。

http://www.kabuki-za.co.jp/info/kougyou/0405/5kg_1.html
二、 歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)

話題とみどころ
天下を狙う悪人清原武衡は、鶴ケ岡八幡宮へ参詣。傲慢にも加茂義綱たちを成敗しようとします。善人方が成敗されようとした時、「暫く」の大音声とともに加茂家の忠臣鎌倉権五郎があらわれます。超人的な力をもつ権五郎は、加茂家の人々を助けるとゆうゆうと引き上げていきます。成田屋の家の芸である歌舞伎十八番の一つ「暫」に、新海老蔵が初役で挑む注目の舞台。荒事の主人公権五郎をどのように演じるか、期待がふくらみます。


三、 新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)

話題とみどころ
紅葉が見事な信濃国戸隠山平維茂は従者をつれて紅葉狩へやってきます。高貴な姫に誘われ酒宴に加わりますが、この姫は実は戸隠山の鬼女。本性をあらわした鬼女と維茂は、激しい立廻りを見せるのでした。新歌舞伎十八番の一つで、常磐津、長唄、竹本の三方掛け合いの舞台は、何とも華やかなもの。更科姫を菊五郎、維茂を梅玉、山神を菊之助が演じる歌舞伎舞踊の大作をお楽しみください。


四、 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)油屋/奥庭

話題とみどころ
福岡貢は伊勢の御師。主筋にあたる今田万次郎の探す刀の折紙(鑑定書)の行方を尋ねて奔走しています。古市の遊廓油屋の座敷で、恋人お紺に偽りの愛想づかしをされて貢は逆上。手にした妖刀で、つぎつぎに人を殺してしまうのでした。縁切り場での洗練された演出が見どころの一幕。團十郎の福岡貢、芝翫の万野、田之助のお鹿、魁春のお紺に、新海老蔵が侠気のある料理人喜助を演じます。