伝統の現在’1「あの大鴉、さえも」

戯曲そのものは有名だったので一度見てみたいと思っていた作品。なんだかベケットを観てるみたい……と思っていたら、途中で「ゴドーを待ちながら」の引用が出てきた。「小さいものでも野放しはいけない」のセリフ*1で気づく私もどうかと思うけど。まぁでも抽象的といってもゴドーよりはテーマが解りやすい気はする。これも色んな演出で観て楽しむタイプの戯曲かな。
さすがに3人とも声の通りが良くて、そういう意味では観ていて気持ちいい。狂言風に演じるのかなぁと思ったけど*2、フツーに現代劇として演出されていた。宗彦&逸平兄弟はまだちゃんと「現代風」になっているのだけど、正邦氏はちょっと狂言風の言い回しが抜け切れてないように感じられた。
終演後に20分のトークショー。最初に5分ほど、「狂言だったらこうなる『あの大鴉、さえも』というのをがっちりと狂言風にやったのだけど、これが一番面白かった。そうですか、狂言だと割っちゃうんですか……

公演概要はこちら→ http://www.morisk.com/karasu.htm
作・演出 :竹内銃一郎
出演 :茂山正邦 茂山宗彦 茂山逸平

【伝統の現在′(ダッシュ)とは】
 伝統芸能である狂言を、一部の観客だけでなく、広く鑑賞してもらうために1992年に森崎事務所が始めたシリーズ企画「伝統の現在」。このシリーズでは、新作狂言はもとより、京都の大蔵流茂山家と東京の和泉流・野村家の異流競演など、画期的でなおかつ芸術的価値の高い公演を数多く上演し、評価を得るとともに、確実に新しい観客を獲得してきた。(主な作品:野村萬斎演出「藪の中」「RASHOMON」など) 本公演は、そのシリーズに続く新しい試みで、狂言と現代演劇を結びつけ、伝統を現在に継承していくという、一歩踏み込んだ新しい企画である。
 出演の3人は共に狂言会の大立て者、人間国宝茂山千作の孫たちで、互いに兄弟・従兄弟の間柄、将来の狂言界を担う若手狂言師だが、その3人が、現代演劇界で多くの受賞経験(岸田戯曲賞読売文学賞・など)を持つ実力派・竹内銃一郎と真正面から組む、という、まさに本企画の第1弾にふさわしい内容の作品である。

 

【ストーリー】
 1枚の透明な大ガラスを運ぶ三人の男たち。どうやら道に迷ったようで、表札を確かめながら右往左往するが、いっこうに目的地へたどりつけない。
大ガラスの届け先は、童謡歌手・三条はるみの家か、ポルノ女優・三条ルミの家か、確かなものが不確かとなり、嘘が実となり、実が嘘となってゆく・・・。謎が行きつく、その先にあったものは・・・。
我々が日々、確かなものとして疑わないこの現実社会が果たして確固たるものなのか、一枚の透明なガラスという象徴的なオブジェを通して人間の成り立ちの根底を問う秀作。

*1:社会の窓が開いているということをウラジーミルから指摘されたエストラゴンのセリフ

*2:アフタートークによると、彼らのお父さんの世代がその演出で一度やったらしい。それを子供の頃に観て面白いと思った逸平氏がやりたいと言って実現した企画だとか