「空想 万年サーカス団」

うーん。誰も得をしない芝居だったような気がする。誰が悪いわけでもないけれど、企画からしてちょっと無理があったんじゃないかと……いや、スタッフ・キャストともにそれぞれのポジションでできることはちゃんとやっていたとは思うのだけど。
阪本順治監督は戯曲書くの初めてらしいけど、休憩込みで3時間半の芝居にしてはちょっと中身が薄すぎる(1時間40分程度なら適正な本だろうけど)。「30分の休憩を二回挟んだ三幕構成」の演舞場仕様の脚本、ではないんだな。でも阪本監督が映像化したらこんな感じになるだろうなぁという絵は浮かぶだけに、「脚本がダメ」とか言っちゃうのはどうかと思うし。
演出は演出でいかにも串田さんらしい作りで、あの脚本をよくここまで演出したと思ったし、昔のサーカスの雰囲気なんかはすごく好きなんだけど。ただ所々、唐突なセリフがあったりして、「そのセリフを言わせるなら、もっとそこまでの感情の流れを作るための伏線をはっておいてくれなきゃ……」と思う箇所もあって、そこを埋めるのは演出家の仕事なんじゃないかなぁとも思ったり。でも、それってもしかして演出家というよりは役者の責任かもなぁという気もしないでもなかったけれど。
役者さんはそれぞれみんな熱演していたのだけど、勘九郎さんと柄本さんはアドリブ部分とかで時々「地」の顔が出てしまっていて、ちょっとどーなんかなぁと思わないでもなかった。観客が完全に「浅草パラダイス」的なものを求めて見に来てしまっている客層なので、そういうところで楽しませなきゃというのは解るのだけど……。でも話が話だけに、このふたりの役はちゃんと徹頭徹尾演じきってくれないと……という気がした。特に勘九郎さんの役は、「ちょっと頭が足りなくて、思うように自分の気持ちを表現することができない男」で、それが最後にやっと言いたかったことを言えて涙を誘うのだから、“勘九郎”の顔がでてきちゃいかんと思うのだけどなぁ。そこんとこいくと、カーテンコールになるまでほとんど地の顔を出さなかった藤山直美さんはさすがだと思った。
なんというか、「脚本」「演出」「役者」「客層」「劇場」「美術」「音楽」のそれぞれのパーツは別に悪くないのに、どれも違うパズルのパーツだったせいでうまく組み合わさらない……という気がした。たとえばこの脚本と演出でもスズナリとか笹塚スタジオとかで小劇場の客に見せるように作ればそれはそれで面白かっただろうと思うし、あの役者と客層と劇場でも浅草パラダイスなら問題なかったわけだし。どのパーツも嫌いじゃないだけに、なんかもったいなかったなぁ……。

詳細→http://www.shochiku.co.jp/play/enbujyo/0402/index.html

みどころ
サーカス団を舞台に繰り広げられる奇想天外な人間模様−。
 今回は、「どついたるねん」「傷だらけの天使」「ビリケン」そして藤山直美主演「顔」などパワフルな映画を発表し続けている映画界の奇才・阪本順治監督の舞台初書き下ろし作品に、「コクーン歌舞伎」や「平成中村座」で、中村勘九郎とタッグを組み、常に好評を博している串田和美が演出を担当。
 劇界初のコラボレーションによって、時にはアバンギャルドで夢のごとき舞台をお目にかけます。